株式会社 二葉科学茨城

株式会社二葉科学茨城 代表・茂垣康則氏

———茂垣社長は、二葉科学茨城の2代目ですね。小さいころから、ものづくりに興味があったんですか。
茂垣
:現在、二葉科学の子会社である二葉科学茨城として熱処理装置や環境試験装置の設計、製造に取り組んでおりますが、前身は茂垣製作所です。僕がまだ赤ん坊の頃、父がつくりました。板金ものづくりの工場です。その工場が僕の遊び場でしたから、ふつうだったら、父親の姿を見てものづくりに興味を持つのでしょう。

ところが、僕がなりたかったものは医者、もしくは科学者です。宇宙戦艦ヤマトをつくる科学者ですが…。受けた大学も医学部です。浪人中に「医者以外の道もある」と考え直し、その後明治大学へ進みました。昔からラグビーが大好きで、さらに明治は強かったので、ラグビー観戦によく行きました。

大学へ入るまでは“ガリ勉茂垣くん”でしたから、大学生になってからは羽を伸ばして遊んでいました。マスコミか、レコード会社など音楽業界に行きたかったのですが、就職したのは広告代理店。営業をやりました。つまり、ものづくりとはほど遠い世界へ進んだというわけです。

——–なんらかの転機が訪れたんですか。
茂垣
:広告代理店でもどかしさを感じていました。広告するものは、当然ながらすでに出来上がっているものです。世の中に広めたいと心から思える、いいものであれば広告しやすい。しかし、正直、ダメなものを売るときは苦しいんです。その後音楽業界に転職してレコード会社に入りました。邦楽宣伝部に所属して何組かアーチストを担当していましたが、やはり出来上がっているものを売れるようにするのではなく、売れるものを自分の手で作りたい…作り手側に行きたい…と、さらに感じるようになっていました。

そんなときに、父の会社の常務がガンで亡くなりました。父が右腕として頼りにしていた人です。おやじは大変だろうなぁと思いました。一緒に暮らしているとケムたく感じていましたが、親元を離れると、おやじの大変さがわかってきたんですね。オレがなんとかしなきゃと思って、「オレ、戻ろうか?」と。

それで2001年、入社。最初は柏にある関連会社で設計や営業をやりました。2003年に、この場所へ来て設計から総務・経理、そして総務統括部長になりました。37、8歳のころです。2007年に過去最高の売上と利益を出したところで、おやじが「社長を交代しよう」と。「え? もう変わるの? まだ元気じゃない」と思いましたが、おやじも腕一本で長年、板金をやってきたんですね。立派な子会社のトップとしてがんばってきたんです。それなら、ということでおやじは会長職へ、僕が社長になりました。2008年のことです。

———リーマンショックの年ですね。
茂垣
:社長に就任してまもなくです。先の仕事がなくなっていく…。2カ月先の仕事がうまっていない…。本社から人員を削減しろと通達が来る…。泣く泣く一人ずつ辞めてもらいました。そのころは、頭がおかしくなりそうでした。リーマン・ショック後1年以内に、何人か辞めてもらったときは、毎日苦しくて、苦しくて…。何のためにやっているかわからない、そんな状況でした。

リーマン・ショックだけではありません。東日本大震災があり、原発の影響があり、僕は社員を守ることができるのだろうか、家族を守ることはできるのだろうかと…
打つ手、打つ手がうまくいかず、お手上げ状態でした。

当時、ある社長に聞いたんです。社長の仕事は何をすることなんでしょうかと。すると、社員を育てることだと教えてくれました。何をやってもうまくいきませんでしたから、社長として暗闇の中で光を見い出せたのは救いでした。

2016年に30周年を迎えましたが、このときしみじみ思いました。会長はよくやってきたなと。すごい経営者だと思いましたね。

———リーマンショック後は業績が落ち込みましたが、当時と比べると売上は3倍に伸びていますよね。
茂垣
:いろんな面で僕自身が変わりました。当社は、二葉科学という本社のもとで仕事をしていますが、本社の意見を聞いているだけではダメだと気付きました。こちらから計画を立て、何億やります、だから本社はこうしてほしいと、二葉科学茨城の主張をしました。

また、自分は傲慢だったかもしれないと反省し、どんなことにも感謝しようと心がけるようになりました。感謝できていなかったと思います。自分は。

業績が伸びたのは、今いる社員に、もっといい暮らしをさせてあげたい、生活をよくしてあげたい。そのためには、どうすればいいかを考え始めたからだと思います。

まあ、業績がいい本当の原因は、うちの社員はいいもの作るし、営業がまたがんばるからなんですよ。社員が真面目で優秀だから、僕は社長をやっていられる(笑)。

———社員の生活をもっとよくしてあげたい。それで人事労務面も勉強しだしたんですね。
茂垣
:本当のことを言いますとね、社長になりたてのころは、社労士を頼りにすることってないだろうなぁと思ってました。なにか問題になることってあるんだろうかと(笑)。しかし、いろいろあるもんですね。

でも、僕があせっているのに、大泉さんはあんまりあせっていない。「大丈夫っすよ。社長!」みたいなことを言って、こっちは本当に大丈夫かな…ってドキドキしていると、ビシッと王手に近いところを打ってくる。就業規則の変更って、めんどうくさいなぁと思っていると、僕の背中を支えてくれる。金澤さんは頼りになるし、奥さんは、これがまたいいハガキを送ってくれるでしょう。おかげで勉強が苦じゃない(笑)。これだけ勉強しているんだから、もっともっといい会社にしなければとの思いを新たにしています。

株式会社 二葉科学茨城
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