ホワイト企業社会保険労務士事務所
ホワイト企業社会保険労務士事務所代表の金澤佑紀
(かなざわゆうき)です。
【“人見知り”という持病を発症】
昭和57年、茨城県日立市の日製病院にて産声を上げる。
すぐに黄疸を発症し、そのまま入院生活を送る。
無事回復するも、長期隔離の影響か、
重度の「人見知り」を発症。
知らない人が来ると、両親やカーテンの
陰に隠れる幼少期。
「人見知り」は回復せず、現在も闘病中。
【包〇で刺されそうになった長男】
その後、弟が次々と生まれ、まさかの男5人兄弟の長男に。
当然、毎日がバトルロワイアル。
実家の障子は穴だらけ、ガラス扉はヒビだらけ、
弟の額には縫い傷だらけ。
弟に包〇で刺されそうになるが、惨劇は回避し、
今では笑い話。
【脱走常習犯の改心】
地元の保育園に入園するが、園のみんなと馴染めず。
お昼寝の時間はお気に入りの「ポパイの枕」がないと
寝ない子で、忘れた日には取りに帰ったほど。
諸事情により転園になり、別の保育園に通う。
転園初日から送ってくれた母親を追いかけて、
脱走を試みる毎日。しかし、先生や園のみんなが
とても優しく、脱走しようとする自分を迎えに来てくれて、
少しずつ心を開いていく。
【初恋の相手はあゆみちゃん】
新しい保育園に少しずつ慣れ、脱走がおさまった頃、
「あゆみちゃん」に初恋。
人見知り陰キャのため、話しかけることすらハードルが高い。
何とか勇気を振り絞り、一言二言話しただけで、
自分で自分を褒めた。
それ以上に距離を縮めることもなく、幼稚園に
入園することになり、片想いは静かに終わる。
【ファーストキスの相手はマサユキくん】
幼稚園に入ると、なぜかお調子者キャラが発動。
調子に乗りすぎて、教室のテーブルに上がり、
フル○ンでダンスを披露するという破天荒な行動にも出ていた。
さらに、人生初のキスもこの頃経験。
滑り台の下でのんびり座っていたところ、
上から滑ってきた子と衝突。
まるで漫画のようなシチュエーションで唇が触れ合う。
相手は、まさかのマサユキくん。
衝撃のファーストキスは、まったくロマンチックではなかった。
【習い事はほぼ全滅の小学校時代】
小学生になり、何か習い事をしようと、「お絵かき教室」に通い始める。
水彩画は出来上がった絵がいつもビチャビチャで波を打っていた。
木炭デッサンでは消しゴム代わりの食パンを空腹に耐えかねて完食。
センスが無いので、辞める。
字は上手い方が良いと「お習字教室」に通い始める。
通い続けるが、十段の昇段試験で壁にブチ当たり、
何度挑戦しても昇段できなくなる。
限界を知り、辞める。
同時期に、「スイミングスクール」に通う。
周りがどんどん1級、さらに上級と上がっていく中、
自分は2級のまま。心が折れて、辞める。
唯一、楽しく続けられたのは「ボーイスカウト」。
活動内容は、海岸のゴミ拾い、駅前での募金活動、
イベントでの出店、野外でのロープワーク、手旗信号やキャンプ等々。
どうやらこういうのが合うようだ。

【ギターを弾けば女子にモテる?】
中学生になると、先輩にセンスがあると褒められたことを鵜吞みにし、
バレーボール部に入部。足のケガで1か月間部活を休み復帰したところ、
ポジションが無くなっていたので、そのままフェードアウト。
帰宅部となり時間を持て余していたところ、友人がギターを
弾いているのを見て影響を受ける。
「ギターを弾けば女子にモテるのでは?」と浅はかな期待を抱き、
独学でアコースティックギターを始めるも、どれだけ練習しても
腕前は初心者レベルのまま。しかし、本人は完全にロックスター気分。
上半身裸にくわえタ〇コで、黒夢の「NITE&DAY」「少年」を
気持ちよく弾き語っていた。
【籍を置くだけの高校生活】
「偏差値がまあまあ」「自宅から近いから通うのが楽」そんな適当な理由で、
隣駅の公立高校へ進学。真面目な生徒が多いクラスだったため、あまり馴染めず。
登校はしていたものの、授業中は、漫画を読んだり、ゲームボーイをやったり、
不真面目だったので、テスト前は毎回徹夜で必死に一夜漬け。
短時間での暗記には限界があったので、地理や歴史は大の苦手だったが、
数学、物理や化学は何とかなったので、それでもまあまあの成績だった。
部活は、顧問の先生が可愛かったため、美術部に入部。
が、前述のとおり、美術のセンスはないので、結局籍を置いただけ。
ギターは下手の何とかで続けていて、XJAPANのhideに
ハマってエレキギターに手を出す。
hideの「ROCKET DIVE」や
GLAYの「BELOVED」を練習していた。
当時流行りのバンドを組んだりもするが、こちらも籍だけで形にならず。
【パチスロに消えたアルバイト代】
高校はアルバイトが禁止されていたが、こっそりコンビニや
ガソリンスタンドで働いてお小遣いにしていた。
夏休みはガソリンスタンドのシフトを増やしてもらい、迎えた給料日。
手にした4万円を握りしめ、向かった先はパチンコ店。
パチスロ「大花火」で一世一代の大勝負!も、バイト仲間と一緒に爆死。
わずか数時間で夏休みのアルバイト代は消え去った。
【受験失敗…パチンコ店でアルバイト】
高校生活を満喫?している一方で、父親の借金により自宅が競売にかかり、
家族7人で2LDK(6畳、4畳)のアパートへ引っ越し。
6畳の部屋で、5人が寝るような生活に様変わり。
家の経済事情を理解し、進学するなら国立大学しかない。
なぜか合格できるだろうと思い込んでいたため、
センター試験の後は友人と遊びまわる。
が、まさかの(いや、当然の)不合格。
補欠合格の電話にも出ることができず、不合格が確定。
(友人が補欠合格できたのが救い)
弟の進学も控えていたので、「とりあえず働くか」と
知人のいるパチンコ店でアルバイトを始める。
【ここには書けないパチンコ店での仕事】
パチンコ店は、入ってみると、想像以上にハードな職場だった。
ホールを走り回りながら、箱の上げ下げ、ドル箱の交換、
台トラブル対応、接客。
体力勝負なのはもちろん、お客さんの圧もなかなかすごい。
「遠隔やってんだろ!」「出ない店だな!」と
理不尽なクレームは日常茶飯事。
閉店後は、パチンコ台の清掃やパチスロ台から大量のコインを
回収する作業、モーニングを入れる作業に追われ、帰る頃にはクタクタ。
さらに、従業員の出入りも激しかった。
そして、そこに集まるメンバーも、クセが強すぎる。
「世の中にはいろんな人がいる」 ということを、
ここで身をもって実感することになった。
(パチンコ店での話は、ここに書けない内容が多いため、興味がある方は金澤まで。)

【ユーキャンありがとう】
ちょうどその頃、母親がユーキャン(通信講座)で資格の勉強をしていて、
その教材の中に入っていた行政書士試験の「民法」の本を何気なく手に取る。
「民法、オモロっ!」
それがキッカケで士業の分野に興味を持つ。
さらに、漫画の「カバチタレ」や「ミナミの帝王」を読み、
法律への関心が高まり、「よし、行政書士の資格を取ろう!」と決意。
一方、パチンコ店では「正社員になって役職をやってくれないか?」と声をかけられる。
しかし、すでにやりたいことが見つかっていたため、「勉強を優先したい」と
丁寧にお断りし、間もなく退職。
そして、半年間の勉強の末、19歳で受けた行政書士試験に合格。
【休憩なしの11時間勤務】
行政書士試験に一発合格したことで、すっかり調子に乗る。
「よし、次は司法書士だ!」と勢いで挑戦を決意。
水戸市の資格予備校に通うため、市内にアパートを借りる。
せっかくなら実務経験も積もうと、水戸市の司法書士事務所の面接を受ける。
すると、面接で対応してくれた先生の奥様が、とても優しい方だった。
いろいろな話を聞かせてもらったうえに、
「勉強と仕事を同時に始めるのは大変だから、
勉強を始めてみてから、それでも働きたいと思ったら、
面倒を見るので、もう一度連絡をくださいね。」と気遣ってくれた。
「なんて良い人なんだっ!!」と思いつつ、いざ勉強を始めると、
司法書士試験の勉強+慣れない一人暮らしの両立は想像以上にキツい。
すぐにフルタイムの仕事は無理だと悟り、代わりに某牛丼店の
深夜帯一人勤務(通称ワンオペ)のアルバイトを始める。
当時は労働基準法の知識がゼロだったので、休憩なしの
11時間勤務も「まぁ、こんなもんか」と普通に受け入れていた。
…数年後、この「ワンオペ」が様々なニュースになるとは、
この時は知る由もなかった。
【司法書士よりパチスロ】
司法書士試験1回目――不合格。
想像以上の難しさにモチベーションが保てず、取った行動は朝からパチンコ店へ。
しかし、パチンコ店でのアルバイト経験が活きたのか、ここで意外な才能が開花する。
当時、実家近くのパチンコ店の状況が良かったこともあり、実家へ帰る頻度が激増。
一応、家業の手伝いはしていたものの、生活の実態はほぼパチスロ専業生活者。
その頃には、司法書士の勉強はまったく手につかなくなっていた。
それでも、水戸のアパートは借りたままにしていた。
「まだ終わってない」と、自分に言い訳したかったんだと思う。
【3度目の不合格…だからよかった!】
肝心の司法書士試験は、3度目の不合格。
このまま中途半端に続けていても意味がないと、
水戸のアパートもついに引き払う。
同時に、「これから何をすればいいのか…」
という目標まで失い、思い悩む。
そんな夜も眠れない日々が続いていたある日、
友人からこんな話を聞く。
「うちの親戚が社会保険労務士って仕事をしてるんだけど、
人事労務の専門家?らしい」
「社会保険労務士? なんだそれ?」と
調べてみると――「これだ!!」
なぜか無性に惹かれ、再びやる気に火がつく。
「これが最後のチャンスだ!」と決意し、
人生で一番の猛勉強を開始。
1回目の試験まではわずか半年。
さすがに一発合格とはならなかったが、2回目の挑戦で見事合格!

【すぐに社労士にはなれません】
社労士試験には合格したものの、すぐに社労士として登録できるわけではない。
登録には「2年間の実務経験」が必要だが、それがない場合は
「事務指定講習」を受ける必要がある。
実務経験は積みたいが、まっとうな職歴もなく、
社労士事務所や企業の総務部門で採用されるわけがない。
まずは社会復帰をかねて、選り好みせずに働きながら
「事務指定講習」を受けることにした。
そんなときに、新聞折込求人紙で製造業
(H製作所の下請け)の派遣の仕事を見つける。
「未経験者大歓迎!」「簡単な仕事です!」「急募!」
これなら採用されそうだ笑
【「事務指定講習」を無事修了】
入社した会社での業務内容はいたってシンプル。
塗装する前の掃除機の本体カバーを、ヘキサンという有機溶剤で拭く。
ひたすら、一日中。
一見退屈そうだが、職場には陽気なフィリピン人が多く、とても楽しかった。
繁忙期が過ぎ、派遣が切れるタイミングで、自分を含め数名が
直接雇用の話になったので、「せっかくだから」と、直接雇用に切り替えてもらう。
が、ふたを開けてみると、給与が全員派遣契約時より下がり、最低賃金ギリギリに。
しかも、フルタイム勤務なのに雇用保険も社会保険もなし。
一緒に働いていたフルタイムの契約従業員の人が、
意を決して「社会保険に入りたい」と上司に伝えたところ、
「きみの仕事ぶりではダメ!」と軽くあしらわれていた。
社労士資格を取ったばかりの身で、この状況を目の当たりして、
何とも言えない気持ちになった。(現在、この会社は無くなっている。)
それでも働きながら、無事「事務指定講習」を修了。
これで社労士登録の条件はクリアした。
【変な経歴のおかげで採用】
いざ社労士として働くには、手続き・給与計算・書類作成といった事務スキルが不可欠。
「やはり事務経験を積まねば」と思い、事務職の仕事を探し始める。
ただ、問題があった。
ネット麻雀以外でパソコンにほぼ触ったことがない。
ブラインドタッチのPCソフト、Word・Excel・日商簿記3級の
書籍を購入して急いで詰め込み。(これが付け焼き刃か...)
事務職は女性の求人が多く、男性というだけで断られたりしたが、
それでも諦めずに応募を続け、10社以上応募したところで、
ありがたいことに経理事務で採用されることに。
後から聞いた話では、「経歴が変だから採用した笑」とのこと。
【事務職への挑戦】
入社してみると、パンチ穴が数ミリずれるだけでダメ出しを受け、
ホチキスの位置、郵送物の折り方にまで細かい指導。
さらに、会計ソフトを使った売上管理、帳票の整理、会議用の
会計資料の作成(見やすく、有益に!)といった業務も徹底的に叩き込まれる。
そんな経験を経たおかげで、今ではなんとか人並みに事務業務がこなせるようになった。
それも、この会社で鍛えられたおかげなので、大変感謝している。
【開業、まさかの…】
平成27年、水戸市内で社会保険労務士事務所を開業。
とはいえ、収入が安定するまでは厳しいため、会計事務所で
アルバイトをしながらのスタート。
そんな中、開業の挨拶回りで、同業の社労士・大泉を訪ねる。
すると、そのまま「飲みに行こう!」という話になり、一緒に飲みに行くことに。
酒が進むにつれ話も盛り上がり、酔った勢いでまさかのスカウト。
「うちの事務所に来たらいかっぺ?」
まさかの開業直後に即廃業!
【鍛えられる日々】
日々の業務は、「経営」「法律」「人の気持ち」 の3つの視点を特に意識。
顧問先から信頼される社労士になるべく、大泉から特訓を受ける。
相談の言葉の奥にある「本当の課題」や「表に出ていないリスク」に
気付けるようになったのは、「法律」だけでなく、「経営」や「人の気持ち」にも
意識を向けるようになってからかもしれない。
【気付けば教える側に】
事務所のスタッフも増え、気付けば自分が教える立場に。
やってみると、これがなかなか難しい。
任せたい。でも、お客様に迷惑はかけられない。
中途半端では任せられず、結局自分でやっている。
でも、それでは人は育たない。
サービス品質を保ちながら、少しずつ経験を積んでもらう。
そのバランスの取り方に、今も日々悩んでいる。
顧問先の社長や管理職の皆さんの気持ちが、痛いほどわかるようになった。
【法律を学ぼうとしたら、同級生が”動機不純”だった件】
ある時ふと思った。
「もっと深く、法律を学びたい。」
そんなわけで、中央大学法学部の通信教育課程に入学。
オンラインで授業が受けられるとは、便利な世の中になったものだ。
すると、大泉もまさかの同時入学。
ただし、動機がだいぶ違う。
「もう一度、ピチピチのお姉さま方と一緒に机を並べて
キャンパスライフを送りたい♡」
しかし、その計画は、新型コロナウイルスの襲来により崩壊する。
それ以降、大泉から大学の話題が出ることはなくなった(笑)
【一日の終わりは晩酌】
日々、いろんな課題と向き合って、頭も心もフル稼働。
そんな毎日の楽しみは晩酌。
普段はYouTuberの影響で「ブラックニッカ ディープブレンド」のハイボール。
ちょっと頑張った日は、「ジャパニーズウイスキー」を少しだけ。
40歳を超えてお腹まわりが立派になってきたが、週1日の禁酒デーと
筋トレ(最近サボり気味)で何とか乗り切ろうとしている。
【そして、代表になる】
令和7年9月1日、大泉からホワイト企業社会保険労務士事務所の
バトンを受け継ぎ代表に就任。
同時に事務所を水戸市内原町から水戸市開江町へ移転。
期待と不安を胸に(新)ホワイト企業社会保険労務士事務所をスタートさせる。
これまで積み上げてきたことと、これから変化していくべきこと。
どちらも大事にしながら、顧問先にも、スタッフにも、
「この事務所で良かった」と思ってもらえる場所をつくっていく。
それが、今の自分にとっての“代表”としての役割。

