コンサルタント 大泉佳代

ホワイト企業コンサルタント®の大泉佳代(おおいずみかよ)です。
二人姉妹の長女として、この世に生をうけました。

数字が大好きな偏食児

茨城県笠間市(旧友部町)で小学2年生まで過ごし、その後、水戸市のおとなり、
那珂市(旧那珂町)で育ちました。

2歳下の妹が生まれたころ、母親からあまり相手にされなくなったので、なんとなく寂しさを感じていました。そんな時、父方の祖父が私をとても可愛がってくれたので、
那珂市(旧那珂町)の祖父の家に泊まりに行くことが多くなっていました。さすがに連日泊まりすぎだろうと父が車で迎えに来てくれたのですが、私が祖父の家の2階に隠れて出てこないので、父はあきらめて1人で帰っていくことが多かったようです。

写真はおじいちゃんと私、そして横向きの妹

そんな頑固な私を、祖父は上手に帰らせる達人でした。那珂市からJR水郡線と常磐線を乗り継いで、友部駅まで送ってくれたのですが、友部駅で必ず私がお気に入りの電車型のチョコレートを買ってくれました。おさな心に父と一緒に帰るよりも祖父と一緒に帰る方が安心だということがあったのだと思います。祖父は95歳で天寿を全うしましたが、いつも孫たちのことを気にかけてくれるやさしい人でした。

そんな頑固な私は、超がつくほどの偏食児でもありました。幼稚園に持っていくお弁当は卵サンドしか食べず、好き嫌いが激しいので、母がとても困っていたようです。とくに嫌いだった食べ物は玉ネギ。母が作ったハンバーグに玉ネギが入っていると、玉ネギだけをきれいに取り除いて食べていました。嫌いな食べ物を取り除いて食べる技術は、ピカイチでした(笑)

黒い肌と目が…

私が小学校に入学すると、あだ名で呼ばれるようになりました。なんと、あだ名が
黒出目金!(くろでめきん)
私の真っ黒に日焼けした体とパッチリした目を合わせて、同級生の男の子につけられました。

黒出目金(くろでめきん)と呼ばれて嫌だなあと思っていても、言い出せない私。
何か嫌なことがあっても口に出さずに、心の中にしまいこむ性格だったようです。
(今でもそうなのですが…)

黒出目金(くろでめきん)のあだ名は小学校卒業するまで、
ずっと呼ばれ続けました(泣)

小学4年生の時に将来の職業の方向性を決める、ある習い事をはじめました。
そ・ろ・ば・ん。そろばんを習いはじめたことで、数字が大好きになり、
将来なりたい職業は、銀行員と決めました。

中学3年で初の胃カメラ

中学校入学と同時にテニス部に入部し、3年生の時に主将を務めることになりました。

主将というとカッコイイ響きかもしれませんが、私の性格から、人を引っ張っていくことは苦手だったので、主将だけはやりたくなかった。どちらかというと、2番手の副主将の方が向いていたかもしれません。

しかし、顧問の先生から「お前がやれ!」といわれ、断ることもできずに嫌々引き受けることになったというのが本当の理由。

案の定、部員に練習拒否をされ、ストレスが溜まり胃痛が続く毎日。人生ではじめて胃カメラを飲むことに…。

テニス以外では、小学校からはじめたそろばんの影響で相変わらず数字が大好き。
高校への進路を決める際に、大好きなそろばんが死ぬほど? 学べる水戸商業高校を選択しました。高校に入学してからも引き続きテニス部に入部。中学の時の主将という役割は苦手だったものの、テニスそのものは大好きでした。

高校テニス部時代 黒い

高校生活の毎日は、朝6時から授業開始前まで朝練ではじまり、授業終了後、夜9時まで夜間練習。家に帰ってからは、バタンキュー。学校の授業、食事、睡眠以外は、すべてテニスづけのいわゆるテニス馬鹿(ばか)状態。

高校2年の時に、担任の先生から「このままでは、就職も進学もムリだぞ」といわれ、
悩みに悩んだ末にテニス部を辞めることに…。

テニス部を退部後、卒業するまで毎日2時間以上は必ず勉強。さらに、勉強した内容を毎日担任の先生に報告。その成果が表れ、短大への推薦をいただけるようになりました。しかし、この反動からか短大時代は少々遊んでしまいました(笑)

胃カメラ11回の達人

小学校の時に、銀行員になると決めていましたが、いざ就職する段階になって、同じように数字をあつかう会計事務所もいいなと思い就職。20歳から会計事務所に勤めはじめて、事務所の転職を含めて約7年間会計(税理士)業界にお世話になりました。

しかし、ここでも私の言いだせない性格が出る。

手間がかかる大変な会社の担当を任され、夜の12時頃まで残業することもしばしば。家には、ただ寝に帰る状態。その間、ほかのスタッフは定時に帰り、一切の手伝いもなし。私が残業をしていることを知っていても知らん顔。しかし「手伝ってください!」と心の中では叫んでいるものの、言い出せない私。

さらに、お客様の決算の処理を抱えた状態で病気にかかっても一切の手伝いがない。他部門の同僚から、私の机の下に書類が数日も置きっぱなしになっていることを聞き、不安になり、同僚に自宅まで書類を届けてもらって泣く泣く仕上げることに…。

このように私は心身ともに疲れるとよく胃痛を起こし、中学時代から数えて11回、胃カメラを飲むことになる。病院では、となりにいるおじさんが「オエー、オエー」と数十分繰り返し辛そうにしているのですが、私は物を飲み込むようにゴクンゴクンとすんなり飲み込めてわずか数分。いつも先生に「胃カメラ飲むの上手だね♡」と感心されていました。どうやら私は、心が折れやすい人で胃カメラを飲むのが上手な人なのだと気づく。

この頃から「私のような心が折れやすい人に癒しを与える人になれたらいいなあ~」と何となく思っていました。

詳細は、ホワイト企業®︎のスタッフはこんな資格を持っています!へ。

感謝の言葉

会計事務所に勤務していた頃に結婚し、司法書士事務所に勤めていた主人が、まさか社会保険労務士になるとは思ってもいませんでした。社会保険労務士という仕事は、人に関する専門家といわれています。社内の規程を整備したり、労務トラブルを解決したり、社会保険の加入のお手伝いをしたり。

私が主人の手伝いをできることは、数字が大好きなので、経理ですが(笑)

それから、何よりも支えてくださっているお客様へ感謝の気持ちを伝えること。

主人が独立後、とても生活に困窮していた時期がありました。そんな大変な時期に支えて下さったお客様には、今でも感謝しかありません。また、今現在支えて下さっているお客様も感謝の言葉しかありません。

特に経営者の皆さんは、人の問題で何かと理不尽なことがありながらも、経営をされているのは立派です。そんな経営者の皆さんに、毎月毎月、感謝の言葉をお伝えしながら癒しをお届けするのが私の役割かなと思っております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。